正論をいう無職

有職になった

3秒でわかる『物語の命題』




【3秒でわかる】

ぼくは、「テーマ」もまた「型」であると主張します。



【1分でわかる】

序. 「テーマから物語をつくる」という普通の方法
ぼくは、「テーマ」もまた「型」であると主張します。



1. 人造人間に生まれて 「アトムの命題
アトムの命題
人造人間は人造人間でありながら成長を望み、しかし、人造人間であるが故に成長できないという問題により深刻に直面する。



2. ギムナジウムの転校生 「エーリクの命題」
「エーリクの命題」
転校生は外の世界からやってきて内側の世界の問題を顕にし、そして解決し、内側の世界を再生させ自らも成長する。



3. 水蛭子の語られなかった運命 「百鬼丸の命題」
百鬼丸の命題」
捨てられて水辺にながら着いた「不完全な子供」は、やがて出生の秘密を求めて旅立つ。


4. 私は急いで大人になる 「ジェニーの命題」
「ジェニーの命題」
進行する速度の異なる時間を生きる者同士の恋愛は困難である。


5. 君のためなら「女の子」になってもいいよ 「フロルの命題」
「フロルの命題」
男女いずれの性も選択できる主人公は、自分にとっても大切な人にとっても自分が自分であるために性を自己決定する。


6. いつかトトロにさよならを 「アリエッティの命題」
アリエッティの命題」
成長を選択した主人公は「ライナスの毛布」や「空想の友達」に別れを告げなくてはいけない。




【10分でわかる】

序. 「テーマから物語をつくる」という普通の方法

ぼくは、「テーマ」もまた「型」であると主張します。
戦後の物語は同じ「命題」を変奏しているのです。
ここでは、「ある条件下で、一つの結論が含まれる一文」というイメージで、「命題」を定義します。
これは「批評」です。ですので、必ず一つ一つの作品に直接触れてください。「批評」だけを読んで一つの物語をわかった気になるほど愚かなことはないからです。



1. 人造人間に生まれて 「アトムの命題

これらのキャラクターに共通の運命は、「成長」を望みながら「成長できない」ということです。
ブラックジャックピノコも同じです。
アトムの命題
人造人間は人造人間でありながら成長を望み、しかし、人造人間であるが故に成長できないという問題により深刻に直面する。
大切なのはこの先の展開で常にこの命題に立ち帰ることです。



2. ギムナジウムの転校生 「エーリクの命題」

「エーリクの命題」
転校生は外の世界からやってきて内側の世界の問題を顕にし、そして解決し、内側の世界を再生させ自らも成長する。
そもそも人間は「自己の文化」を唯一無二のものとしてみなしたがる、というところから始まります。
これは物語の内部にも成立すると、ロトマンは言います。カオスとコスモスです。
作中には「内側の価値」を体現するもの、「外側の価値」を体現するものが必要だということです。



3. 水蛭子の語られなかった運命 「百鬼丸の命題」

「捨て子」の話です。
エディプスの物語のように、最後は父を殺します。
英雄誕生神話の「平均的伝説」は日本神話内にもあるのでしょうか。
それは「水蛭子」というところに存在していました。ですがそれ以後のことは民間信仰でしか語られません。
百鬼丸の命題」
捨てられて水辺にながら着いた「不完全な子供」は、やがて出生の秘密を求めて旅立つ。



4. 私は急いで大人になる 「ジェニーの命題」

「男女の時間の過ぎていく速度の違い」というアイデアがあります。
「ジェニーの命題」
進行する速度の異なる時間を生きる者同士の恋愛は困難である。
本書に収録したワークショップの中でも一番「傑作率」が高かったのが、この命題でした。



5. 君のためなら「女の子」になってもいいよ 「フロルの命題」

「自分をハッキリさせること」をめぐっての命題があります。
一種の両性具有状態を経て人間が成長することは、実は民俗学的にはけっこう正しいのです。通過儀礼などで男性の女装という性の転換がみられます。
「フロルの命題」
男女いずれの性も選択できる主人公は、自分にとっても大切な人にとっても自分が自分であるために性を自己決定する。


6. いつかトトロにさよならを 「アリエッティの命題」

移行対象」という概念があります。
「現実を認識し受け容れる能力がない状態」から「外的現実を受け容れられる状態」へと移行していく「中間領域」としての媒介です。
「内なる現実」を未成熟な自分、「外的な現実」を社会的な自分として思い切って「意訳」すれば、たいていの人たちが大人になっても「移行対象」を求めていることは想像にかたくありません。
そして、その役目を終えるには「移行対象」が「幻滅」されることが必要だ、とウィニコットは言っています。
アリエッティの命題」
成長を選択した主人公は「ライナスの毛布」や「空想の友達」に別れを告げなくてはいけない。





【60分で理解する】

序. 「テーマから物語をつくる」という普通の方法

「物語」という形式は、「構造しかない」ものだとしても、それが「容れ物」ゆえに「テーマ」に対して無防備です。
しかし、「物語」にくらべて、「テーマ」のつくりかたについては殆ど説明がありません。
「文学の民主化」だ、という皮肉は言い得て妙です。
本書は、「テーマ」は神聖な領域だ、という思い込みを思い切って捨ててみることにしたワークショップの記録です。
「コンセプト」→「ログライン」→「テーマ」→「プレミス」の順に抽象度が増す、という定義があります。
本書での「テーマ」は、この「プレミス」水準のものをいいます。そこには結論も含まれます。
ぼくは、「テーマ」もまた「型」であると主張します。
戦後の物語は同じ「命題」を変奏しているのです。
ユングのいう「元型」に近いイメージの、ある種の主題だといえます。
ここでは、「ある条件下で、一つの結論が含まれる一文」というイメージで、「命題」を定義します。
ぼくは戦後まんがやアニメーションの具体的な作品から「命題」を抜き出します。
これは「批評」です。ですので、必ず一つ一つの作品に直接触れてください。「批評」だけを読んで一つの物語をわかった気になるほど愚かなことはないからです。



1. 人造人間に生まれて 「アトムの命題

アトムは最初、非武装の「大使」でした。宇宙人との交渉人だったのです。
アトムは「成長を禁じられた子供」として設計されました。そこには日本が占領下から独立する社会情勢が含まれていました。日本はドイツなどと違い、12歳の少年だとみなされたのです。
だからこそアトムは「大人になれない子供」でありながらしかし非武装の「大使」として和平交渉を行い、「大人」としての成功を手にするわけです。奇妙な寓話です。
成長しない子供を捨てるというモチーフは普遍的に存在します。
一寸法師の例。
ではなぜアトムの属性は「ロボット」だったのでしょうか。
田河水泡の「人造人間」の例。1910年代から1920年代にかけて前衛美術運動の中に「ロボットアバンギャルド」とでも呼びうる現象がありました。そこでは、人間の身体の機械化がしばしばモチーフにされました。
綾波レイも、この系譜上にあります。
ロボットに感情があるのか、という問題がそこにはあります。
メトロポリス』の例。
これらのキャラクターに共通の運命は、「成長」を望みながら「成長できない」ということです。
ブラックジャックピノコも同じです。
アトムの命題
人造人間は人造人間でありながら成長を望み、しかし、人造人間であるが故に成長できないという問題により深刻に直面する。
大切なのはこの先の展開で常にこの命題に立ち帰ることです。



2. ギムナジウムの転校生 「エーリクの命題」

トーマの心臓』。
これは「BL」の起源の一つかも知れません。
読者の念頭にあったのは、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』でした。
部隊はドイツの寄宿舎であり、そこで思春期の少年たちの葛藤や挫折が描かれています。
13歳、あるいは物語においては14歳は大人と子供の境界線として常に意識されます。
近代的な物語では当初は帰属や上流階級など高貴な出自の主人公が自身の血筋を見出し成長していく形、そして現在では、ありふれた少年少女が大人になっていく、というのが「成長の物語」の基本形です。
「エーリクの命題」
転校生は外の世界からやってきて内側の世界の問題を顕にし、そして解決し、内側の世界を再生させ自らも成長する。
そもそも人間は「自己の文化」を唯一無二のものとしてみなしたがる、というところから始まります。
これは物語の内部にも成立すると、ロトマンは言います。カオスとコスモスです。
作中には「内側の価値」を体現するもの、「外側の価値」を体現するものが必要だということです。
内側と外側を行き来するものとして「トリックスター」があります。
ファンタジー的世界では主人公はそれまでいた内側の世界から外側に旅立ち、「行って帰る」物語を成立させるわけです。



3. 水蛭子の語られなかった運命 「百鬼丸の命題」

「コインロッカーベイビー」の例。
物語論では物語をことばの文法に喩えます。
ぼくは都市伝説とは物語の「一語期」「二語期」のような気がします。
真意不明の「情報」があり、それにもう一つの「単語」(プロップのいう「機能」)が結びつくと、いわば「二文」の状態になり、「物語」として成立するギリギリ最小限の状態になります。
都市伝説には「象徴」と「現実」の混乱があります。
さて、「捨て子」の話です。
エディプスの物語のように、最後は父を殺します。
英雄誕生神話の「平均的伝説」は日本神話内にもあるのでしょうか。
それは「水蛭子」というところに存在していました。ですがそれ以後のことは民間信仰でしか語られません。
日本では「英雄誕生」の神話はいわば「一語文」として放置されたままです。
百鬼丸の命題」
捨てられて水辺にながら着いた「不完全な子供」は、やがて出生の秘密を求めて旅立つ。



4. 私は急いで大人になる 「ジェニーの命題」

『ジェニーの肖像』。
『毛糸弦』の例。
『ポー一族』の例。
『8月に生まれる子供』の例。
「男女の時間の過ぎていく速度の違い」というアイデアがあります。
「ジェニーの命題」
進行する速度の異なる時間を生きる者同士の恋愛は困難である。
本書に収録したワークショップの中でも一番「傑作率」が高かったのが、この命題でした。



5. 君のためなら「女の子」になってもいいよ 「フロルの命題」

「自分をハッキリさせること」をめぐっての命題があります。

『ハリウッド脚本術』を書いたニール・D・ヒックスでの基本構造は、
バックストーリー、内的な欲求の提示、キッカケとなる事件、外的な目的の提示、準備、対立の構図の明示、自分をハッキリさせること、オブセッション(周囲のキャラクターへの共感の広がり)、闘争、解決
というものです。
『11人いる!』の例。男女の性が身体的に未分化なフロルという「少年」。
メトロポリス』のミッチイ。
リボンの騎士』のサファイア
ベルサイユのばら』のオスカル。
『闇の左手』の例。
ちなみにこういった一種の両性具有状態を経て人間が成長することは、実は民俗学的にはけっこう正しいのです。通過儀礼などで男性の女装という性の転換がみられます。
「フロルの命題」
男女いずれの性も選択できる主人公は、自分にとっても大切な人にとっても自分が自分であるために性を自己決定する。



6. いつかトトロにさよならを 「アリエッティの命題」

借りぐらしのアリエッティ』。
ぼくがアリエッティで一番気に入っているのは彼女が「まち針」を腰にサーベルのように差しているところです。
民話「赤頭巾ちゃん」にて、「どちらの道に行くかね、針の道か、それともピンの道か?」という言葉があります。
「赤頭巾ちゃん」には二つの異なるバージョンが存在するのです。ピンの道は安易な道でした。
そう考えると「まち針」を持たせたことはアリエッティの「成長」への選択をうまく象徴しています。
どこまでそれを計算したのかはわかりませんが、よくできた作品は民話や神話との論理的な整合性が見てとれるのです。
崖の上のポニョ』の胎内回帰のようなラストと違い、アリエッティは逃避ではない出発をします。
移行対象」という概念があります。
「現実を認識し受け容れる能力がない状態」から「外的現実を受け容れられる状態」へと移行していく「中間領域」としての媒介です。
たいていの大人も「内的現実」と「外的現実」の折り合いをつけるのに苦慮しています。
「内なる現実」を未成熟な自分、「外的な現実」を社会的な自分として思い切って「意訳」すれば、たいていの人たちが大人になっても「移行対象」を求めていることは想像にかたくありません。
そして、その役目を終えるには「移行対象」が「幻滅」されることが必要だ、とウィニコットは言っています。
ジブリアニメでも、さりげなく「別離」が描かれています。
「心のキレイな子供にしかトトロは見えない」みたいな言い方をする人がいますが、トトロは未だ親から自立するには少しだけ不安な子供に寄り添う存在だ、と言えます。
ナルニア国物語』の例。移行対象と別れそこねた時には「死」が運命づけられていることは確かなようです。
「別離」は「見るなの禁止」という昔話や神話の表現とも関係しています。
アリエッティの命題」
成長を選択した主人公は「ライナスの毛布」や「空想の友達」に別れを告げなくてはいけない。




【印象に残った言葉】

『民話は思想統制につかえてしまうもの』 P. 004

『残存する力を持つためには、それは何か異常な、そして人の注意をひくものを持っていなければならない』 P.016

『しかもその反復は「命題」を意識しないが故に「劣化」でしかない印象さえあります』 P.021

『ディズニーやフライシャーがアニメーションの表現として行なった「人」や「動物」化を手塚は「科学」によって根拠づけたわけです』 P.055

『無理をして「私」になろうとすればダークサイドの部分、ユングのいうシャドウを「敵」キャラクターとして生じさせる必要がある』 P.094

『しかし「トーマの心臓」の中で採用された「少年愛」の部分のみが拡大されポルノグラフィー化したのがBLです』 P.100

『80年代のおしまい、よく現在の若者(つまり当時のぼくたちです)は「虚構と現実の区別がつけられない」と批判されましたが、むしろこの20年で困難になったのは「象徴」と「現実」、「象徴」と「物語」の区別のような気もふとします』 P.128

『今のこの国の人々は、若い世代になればなるほど自分の「居場所」捜しに懸命な印象があります。「自分捜し
」ではなく「自分の居場所捜し」です』 P.235

『その確かさを信じられない人たちが多分いつの時代も「伝統」と口走っているのだとぼくには思えます』 P.263

『ぼくは、創作は誰にでも可能な方法上の組合せだと主張することで「作者の固有性」を否定するポストモダニストではありません。方法を使いうる一人一人の人間の「固有性」をむしろ誰よりも楽天的に信じています』




【書評】

型を考えながら創作することで、本当に自分の描きたいディティールに集中できる。それはテーマに関してもいえることだ。
多くの映画を観たり、多くの小説を読んだり、それは確実に重要なことだ。そしてそのログラインなりテーマなりを、自分で抽出することは、さらに重要なことだろう。
確かに、創作と型の共存にヒステリックに見えるほど反対する人たちもいる。
だが、能などを考えたときでも、空手の形を考えたときでも、やはり最初の守るべき要点というのが存在するのは間違いない。型の否定は必ずしも良い結果には結びつかないだろう。
型や構造を知った上でそれを使いこなし、さらに次のステージに歩を進めていくことこそが、創作をする人間に求められていることではないだろうか。