正論をいう無職

有職になった

1. 『地図』太宰治を写経する



【1回目】

 琉球首里の白の大広間は朱の唐様の燭台にとりつけてある無数の五十匁掛のろうそくがまはゆい程明るく燃えて昼のようにあかるかった。
  まだ敷いてから間もないと思はれる銀べりの青畳がその光に反射して、しき通るやうな、スガスガしい色合い を見せていた。慶長十九年。内地では豊臣の世が徳川の世と変わって行こうとしていう時であった。首里の名主といわれている謝源は大広間の上座にうちくつろいで座っていた。謝源のすぐ傍に丞相の郭光はもう大分酩酊したようにして膝をくずして、ひかえていた。やや下って多くの家来たちがグデングデンに酔っ払ってガヤガヤ騒ぎたてていた。広間の四方の障子はスッカリ取り払われ、大洋を拭うて来る開封は無数の蝋燭の焔をユラユラさせながら気持ち良く皆の肌に入って行くのであった。十月といっても南国の秋は暑かった。
謝源は派手な琉球絣の薄ものをたった一枚身にまとい、郭光の酌で泡盛の大杯をチビリ、チビリと飲んでいた。謝源は今宵程自分というものが大きく思われた時はなかった。その為か彼は今までの苦い戦の味もはや忘れてしまったようになっていた。五年の長い歳月を費やし、しかも大杯の憂き目を見ること三度、ようようにして首里よりはるか遠くの石垣島を占領したあの苦しみも忘れてしまう程であった。
 石垣島は可成大きい国であった。そして兵も十分に強かった。チョッとした動機から彼は石垣島征服を思い立ち、直ちに兵を率いて石垣島を攻めたのであった。石垣島の兵はよく戦った。そして外敵を三度も退けるkとおが出来た。 謝源は文字通りの悪戦苦闘を続けた。しかし彼は忍耐強かった。ジリジリ石垣島を攻め立てた。 五年の年月を過ごし、ついに石垣島を陥れたのは、つい旬日前のことであった。首里に凱旋してきた謝源は今夜の宴を開いたのであった。彼は満足げに大杯を傾けていた。彼は下座で騒いている家来たちをズッと見廻した。その時彼の眼には、もう家来なんぞは虫けらのように見えて、しようがなかった。フイと首を傾けて外を眺めた。暗い晩であった。まだ月が出るには真があるのか、ただまっくらで空と大地との区別すらつかない程であった。彼はその空を見ているうちにもう、その空までも自分が征服してしまったような気がした。勝った者の喜び!! 彼はそれを十二分に味わっていた。
ジーと暗い空の方を眺めていた。彼はフト空のスグ近い所に気味の悪い程大きな星がまばたきもせず黙って輝いているのを見た。
「大きい星だナ」
彼は何気なくつぶやいた。郭光はその王の独りごとを耳に聞きはさんだ。「どれ、どれ、どこにその星が・・・・・・」郭光はおかしみたっぷりにそう言った。謝源はそれを聞いて微笑みながら、だまってその星のある方を指差した。郭光は「ウム、ななーる程これア大きい星ぢやい。何という星ぢやろう。うらめしそうに、わしの方を見ておりますナ。王、あれア石垣の、やつらがくやしがってあの様ににらめているので御座ろう」ヒョウキン者の郭光は妙な口調でこういった。そしてその星に向かって、「ヤイヤイいくさに負けて、くやしいだろう」とやや高声に変なフシをつけて叫んだ。謝源も、これを聞いた家来の一部のものも、あまりのオカシさに笑いこけてしまった。その瞬間その大きな気味の悪い星が不吉を予言するかのようにスーッと音もなく青白い長い尾を引きながら暗の中に消えてしまったのはだれも知らなかったことである。謝源と郭光はそれから一しきり、いくさの手柄話に花を咲かせていた。
 その時一人の家来があわただしく王の前に参り「ただ今二人の蘭人がこれに見えて、王に戦勝の祝の品を持ってきたと申しています。いかがとりはからいましょうか」と言った。 謝源はフト郭光との話を止めて上機嫌で「アアそうか、すぐこれへ」と口ばやに言った。家来は「承知いたしました」と急いで、そこを去った。
 謝源には二人の蘭人とは誰と誰であるかがわかっていた。八年前に謝源がこの沖合で難破した蘭人の二人を家来の救うて来たのを、世話してやったことがあった。キットその蘭人があれから先ず己の国に帰って又日本に来る途中で自分の戦勝を聞き、取り敢えず祝の品を持って来たのだろうと思った。
 彼はその蘭人の恩を忘れぬ美しい心が又となく嬉しく思われた。果たしてあの蘭人であった。二人はあれからは大分老いて見えた。丈の高い方はもう頭に白髪が十分まじっていた。
 肥えていた方はことに衰えて、あのはち切れそうだった血色のいい皮膚が、今はもうタブタブしていて、ガサガサした感じさえ与えていた。
 二人はめいめい先年の絶大な恩を受けたこと、及びこの度の戦勝の祝いをくどくどしく申し述べた。謝源は絶えずニコニコしてそれを聞いていた。殊に両人ともまだ琉球のことばを忘れていないで、たやすく思うままに言うことが出来ていたということは謝源をムショウに嬉しがらせた。謝源は二人の言葉の終わるのを待ち遠しそうにして「アアよしよし両人とも大儀であったナ」と言った。彼の得意はもうその絶頂に達していた。異人種から戦勝の祝いのことばを述べられる。恐らくそれは日本の内地にでさえもなかったことだったろう。
 もう五十の齢にも及ぼうとしている謝源も前後を忘れて「アア愉快だ!!」と叫びたくなった程であった。蘭人はやがて紫の布に包んだ祝いの品を恭しく差し出した。郭光はこれを介して謝源に渡した。偉いと言われてもいくらか原始的な人種である琉球人たる謝源はその品を受け取ってしまってからは、それを見たくてたまらなかった。それは長い軸物であった。一体なんであろうと彼は考えた。南蛮の・・・・・・兵法・・・・・・そうでなければ何か新しい武器の製法・・・・・・剣術の法・・・・・・・を書いたもの・・・・・・それとも舶来の絵・・・・・・いろいろと考えて見た。
 もう彼はこらえきれなくなって、両人に「オイここで開いて見てもいいだろうナ」と言った。勿論両人はそれに対して依存がある筈はなかった。謝源はその時は全く子供のようにハシャギながら、急いでそれを開いて見たのであった。地図であった。勿論それは両人に聞いて初めて世界の地図だということを知ったのだ。
 謝源は全くそれを珍しがった。彼はこの地図の中に自分の国も亦今自分の占領した石垣島もあるのだということを思いついた。
 そう思いついた以上は彼はそれがどんな風にこの地図に記入されてあるかを知りたくてしようがなかった。謝源はその地図を蘭人に示して「もそっと、前に進んでこれを説明して呉れぬか」と言った。両人は静かに前に進んで行った。謝源は地図を下に置いて蘭人の説明を待った。丈の高い方の蘭人はスラスラ説明をして行った。「この青い所は海で・・・・・・このとび色をしている所が山で御座います。この地図は上の方は北で、下の方は南・・・・・・」謝源はそんなことはどうでもよかった。早く自分の領土がどこにあるかを知りたくてたまらなかった。丈の高い蘭人は尚説明をし続けて行った。「この北方の大きな国は夜国と申します。夜ばかり続くそうです。そのチョッと下の大きな所はガルシャと申します。ズーッとこっちに来ましてこの広い島はメリカンと申します・・・・・・」謝源は可成失望をしてしまった。目ぼしい大きい国は皆名さえ聞いたことのないものばかりでえあったからだ。それでも彼 は干しながらも望みをもっていた。とうとう「ヨシヨシ。して、わしの領土は一体どこぢゃ」と聞いてしまった。謝源はやがて蘭人が指差して呉れる大きな国を想像していた。蘭人は少しためらっていた。謝源はせきこんで「ウン一体どこぢゃ」と言った。二人の蘭人は互いに顔を見合わせて何ごとかうなずき合っていたが、やがて太った方の蘭人がさも当惑したようにして「サアチョット見つかりませんようです、このちずは大きい国ばかりを書いたものですから、あまり名のしれてない、こまかい国は記入してないかも知れません、現にこれには日本さえあるかなしのように、小さく書かれていますから・・・・・・」とモヂモヂしながら言った。
 謝源は「何ッ!!」とたった一こと低いがしかし鋭く叫んだ。それきり呼吸が止まってしまったかのような気がした。全身の血が一度に欠陥を破って体外にほとばしり出たような感じがした。目玉の上がズキンとなにかで、小突かれたような気がした。全身がプルプル震ったことも意識した。彼はその蘭人の為に土足のままで鼻柱を挫かれたような思いがした。今の蘭人の言葉は彼にとっては致命的な侮辱であった。真赤な眼をして凍ったようになって、地図を穴のあく程みつめていた。「名高くない小さい所は記入してないというのか」彼はヤッとこれだけ言うことが出来た。そしてキット二人の蘭人を見つめた。蘭人達はあまりに変わった王の様子にタダ恐ろしさの為に震ってばかりいた。そして「ハイ日本さえもこのように小さく出てるんですから」とやっと青くなりながら言った。
 謝源はもうだまっていることが出来なくなった。そして妙にフラフラになって「郭光!! 酒だ!!」といった。郭光はあまりのことにボンヤリして「ハッ」と答えたが別に酒をついでやろうともしなかった。「酒だというに!!」郭光はこの二度目の呼び声にハッと気が付き謝源のグッと差し出した大杯に少しく酒を注いだ。
 謝源はガブと一口飲んだ。濁酒の面には蝋燭の焔がチラホラとうつっていた。実際それ彼にとっては火を飲むように苦しかった。
 謝源は「ウーム」とうなった。ホントに彼は今の所では唸るよりほかに、すべがなかったのであろう。血走ったまなこで蘭人をヂッとにらめつけていた。大広間の酔っぱらっている家来も流石に王のこの様子に気づいたのか急にヒッソリとなった。殺気に満ちた静けさが長くつづいた。ややあって謝源は何と思ったか丈の高い方の蘭人に彼の大杯をグイッと差しのべて「飲んで見ろ」と言った。そして郭光に眼でついでやれと言いつけた。その蘭人はさすがに狼狽した。そして「失礼でございましょうが、私は日本の酒は飲めないんで・・・・・・」と言って、「イヒヒヒヒ」と追従笑いをした。実際蘭人は日本酒、殊にアルコール分の強い泡盛は飲めなかったのである。
 謝源はカッとなった。さっきのことばと言え、今の笑い声と言い明らかに自分を侮辱してると彼は一途に思いつめた。「わしのような小国の王の杯は受けぬと言うのか、恩知らず奴ッ」彼はこう叫ぶやいなや、その大杯を丈の高い欄人の額にハッシとぶつけた。彼は何もかもわからなくなった。傍にあった刀をとり上げて鞘を払った。立ち上がった。刀をめちゃくちゃに振り回した。蘭人の首は飛んだ。これらのことは皆同時になって表れたと、いってもいい程であった。ややあって謝源はニョッキリとつつ立ったまま「恩知らずッ馬鹿ッたわけめッ」とあらゆる罵声を首のない二人の死骸にあびせかけていた。もう酒宴どころの騒ぎではなかった。家来はただあわて、ふためいているばかりであった。ややあって謝源の心は少しく落ちついて来た。彼は力なげに外をながめた。
 月が出たのかそれらは一面に白くあかるかった。夜露にしめった秋草の葉は月の光で青白くキラキラ光っていた。
 虫の声さえ聞こえていた。
 謝源はもうシッカリ自暴自棄に陥っていた。
 地図にさえ出てない小さな島を五年もかかって、やっと占領した自分の力のふがいなさにはもう呆れ返っていた。謝源は人が自分の力に全く愛想をつかした時程淋しいkとはあるものでないと考えた。彼は男泣きに大声をあげて泣いてしまいたかった。波の音がかすかにザザザと聞こえていた。裏の甘蔗畑が月に照らされて一枚一枚の甘蔗の葉影も鮮やかに数えることが出来た。そして謝源にはその青白い色をしている畑が自分を冷笑しているようにも見えた。若しこの時謝源が空を見上げたならば、もう一つの気味の悪い大きな星が彼の丁度頭の上で、さっきと同じように長い尾を引いて流れたのを見たことであったろう。
 彼は長い間ボンヤリ立っていた・・・・・・

 謝源の乱交は日増しに甚だしくなって行った。
 飲酒、邪淫、殺生その他犯さぬ悪さとてなかった。この時に於ける郭光の切腹して果てたことも謝源の心に何
 の反省も与えては呉れなかった。
 中にも土民狩りと言って人民を小鳥か何かのように取り扱い弓等で射殺し、今日は獲物が不足だったとか、多かったとかで喜んでいたりしたことは鬼と言っても言い足りない気がする位である。人民の呪詛もひどかった。
 一人として王を恐れ且つ憎まぬ者はないようになった。そして人民は皆「王が石垣島を占領した功に誇り、慢心を起こし遂にこんなになってしまったのだ」と口々に言っていた。
 若し謝源がこれを聞いたならキッと心からの苦笑を洩らしてしまうにちがいない。

 こんなフウだったからそれから一年もたたぬ中に石垣島のもとの兵に首里が襲われて易易と復讐されたのは言うまでもないことである。しかし謝源は少しも残念がる様子もなく或夜コッソリと一そうの小舟で首里からのがれて行った。どこに言ったか一人も知っているものがなかった。
 ただ数ヶ月の後、石垣島の王のやしきの隅にその頃日本では、なかなか得ることの出来なかった世界の地図が落ちてあるのを家来の一人が発見した。誰がどんな理由で持って来てここのやしきの中になげこんで行ったのか無論わからなかった。そしてその地図の所々に薄い血痕のようなものが付いていた。石垣島の王はそれを、たいへん珍しがって保存して置いたことであろう。



【2回目】

地図

琉球首里の城の大広間は朱の唐様の燭台にとりつけてある無数の五十匁掛がまばゆい程明るく燃えて昼の様にあかるかった。





【感想】

自分が信じていたものが音をたてて壊れる。
これは『思ひ出』にも同じような記述がある。
自分が特別だと思っていたこと。自分が価値を感じていたものが、なにかの拍子に、一瞬にしてさっと色あせてしまう。
そうしてぽつんとひとり残される。
泡が消えていくように、いままでの世界は消えてしまう。
それこそ天にある星が、流れ落ちて、チンケなヒトデになってしまうように、それは人の心をなくさせるものだろう。
誰でもそんな経験はあるのではないだろうか。