正論をいう無職

有職になった

5. 『お伽草子』太宰治を写経する

お伽草紙 (新潮文庫)
太宰 治
新潮社
2009-03


【1回目】

お伽草子

「あ、鳴った。」
 と言って、父はペンを置いて立ち上がる。警報くらいでは立ち上がらぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかえて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を 背負って壕の奥にうずくまっている。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらいで、ちょうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでしょう。」
「うむ、まあ、そうだが、いまは土が凍って固くなっているから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言って、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ましょう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。 桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聴かせる。
 この父は服装もまづしく、容貌も愚かなるに似ているが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するというまことに奇異なる術を体得している男なのだ。
 ムカシ ムカシノオ話ヨ
 などと、間の抜けたような妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語がうんじょうせられているのである。
瘤取り


  ムカシ ムカシノオ話ヨ
  ミギノ ホホニ ジャマッケナ
  コブヲ モッテル オヂイサン
 この お爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでいたのである。(というような気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発しているものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話にかぎらず、次に展開して見ようと思う浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちゃんと記載せられているし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などというものに依っても、それらしいものが伝えられているようだし、また、つい最近においてはおうがいの戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かったかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊に到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやったり、また売り払ったりする癖があるので、蔵書というようなものは昔から持った事が無い。それで、こんな時におぼろげな記憶をたよって、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち至るのであるが、いまは、それもむづかしいだろう。私は、いま、壕の中にしゃがんでいるのである。そうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられているだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだろう。いや、かえってそのほうが、活き活きして面白いお話が出来上がるかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たような自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
  ムカシ ムカシノオ話ヨ
 と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みというものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから言えの者たちにきらわれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合わせていづれの掌が鳴ったかを決定しようとするような、キザな穿鑿に終わるだけの事であろう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在っては、つねに浮かぬ顔をしているのである。と言っても、このお爺さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。ムカシは、なかなかの美人であったそうである。若い時から無口であって、ただ、まじめに家事にいそしんでいる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしゃいでも、
「そうですか。」と興の無いような返事をして、「ちょいとどいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言う、
 お爺さんは浮かぬ顔になる。
 また、このお爺さんには息子がひとりあって、もうすでに四十ちかくになっているが、これがまた夜に水らしいくらいの品行方正、酒も飲まず煙草も吸わず、どころか、笑わず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑われるくらい、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言わざるを得ない種類のものであった。
 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持ちである。そうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないような気持ちになるのである。しかし、うちで飲んでは、いっそう浮かぬ気持ちになるばかりであった。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだって、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやっている傍で、黙ってごはんを食べている。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔って来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言い出す。「いよいよ、春になったね。燕も来た。」
 言わなくたっていい事である。
 お婆さんも息子も、黙っている。
 「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言わなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向かいようようしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合いである。
  アルヒ アサカラ ヨイテンキ
  ヤマヘ ユキマス シバカリニ
 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢さげて、剣山にのぼり、たきぎを拾い集める事である。いい加減、たきぎを拾いに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん!と偉そうに咳ばらいを一つして、
「よい眺めじゃのう。」
 と言い、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しそうな顔をしている。うちにいる時とは別人の観がある。ただ変わらないのは、右の頬の大きい瘤くらいのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに緩くなって、むずかゆく、そのうちに頬が少しづるふくらみ、なでさすっていると、いよいよ大きくなって、お爺さんは淋しそうに笑い、
「こりゃ、いい孫が出来た。」と言ったが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生まれる事はござりません。」と興覚めた事を言い、また、お婆さんも、
「いのちにかかわるものではないでしょうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かえって、近所の人が、同上して、どういうわけでそんな瘤が出来たのでしょうね、痛みませんか、さぞやジャマッケでしょうね、などとお見舞いの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑ってかぶりを振る。ジャマッケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のように思い、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗う時にも、特別ていねいにこの瘤に清水をかけて洗い清めているのである。きょうのように、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなわぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こわい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔うべしじゃ。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れ入る。お見それ申しましたよ。偉いんだってねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、そうして、えへん!と高く咳ばらいをするのである。
  ニワカニ クラク ナリマシタ
  カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
  アメモ ザアザア フリマシタ
 春の夕立は、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このような天候の異変も、しばしばあると思わなければなるまい。山hあ雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱっぱっと飛び立って矢のように早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするおも悪くないわい。」
 と言い、なおもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めていたが、雨はいよいよ強くなり、いっこうに止みそうにも見えないので、
「こりゃ、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなった。」と言って立ち上がり、大きいくしゃみを一つして、それから拾い集めた柴を背負い、こそこそと林の中に這入っていく、林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ、ちょっと、ごめんよ。」
 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚になっているのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もいませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしゃいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまった。酒飲みというものは酔ってつまらぬ事も言うけれど、しかし、たいていは、このように罪の無いものである。